前作「春過ぎて」「夏の夜は」「夜渡る月の」の続編。一期一振×三日月宗近で、パロディです。
審神者はじめ、オリキャラがいます。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
懲りずに、続いてます。あと一回くらいで終わりたい…orz
8.神無月
風が涼しくなった長月。
神無月の前にと、粟田口に集う刀剣たちの祓の儀を行うため、宮参りが行われた。近畿一円には名のある社も多く、参拝者も多いため、三日の日程で社に滞在し、穢れを祓う。
中日には月見の宴が催され、三日月宗近もこれに連なった。あれからさらに数の増えた刀剣男士も交えて、座はおおいに盛り上がっていた。
次郎太刀が樽酒を抱えて、一気飲みを始めたのを契機に、皆が周りに集まって囃はじめた。
普段ならめったにない外出に心弾ませているはずの三日月宗近は何故か輪から外れた上座で浮かない顔をしている。楽しげな輪を横目に眺めながら、三日月宗近は、唯一この場にいない一期一振の事を考えていた。
南の対への出禁を言い渡された一件以来、ろくに顔を合わせていない。きつい物言いをした覚えはあるがそれほどまでに疎まれるとは思ってもみなかった。
中将とも、あの日以来、会ってはいない。
目通りした最後の夜、いつも以上に青白い彼の顔色を見て、やはり一期の言を入れるべきであると確信したものの、自ら進んで話し相手を務めてきた以上、この掌返しには、理不尽だとごねられても無理はないと覚悟していた。
けれど、意外にもあっさりと「致し方なし」の応えが返り、もう少しわがままを言われるものと思っていた三日月はいささか拍子抜けさえした。
ただ、これ以上障りがあってはと、早々の退出を願い出た時の中将の悲しげな表情はいまだに忘れられない。
「月待ちて、とも言うでしょうに。」
引き留める袖を強く引かれ、細い腕が思いのほか強い力で、縋るように三日月の体を抱きしめた。
「__そのうち、お元気になられたら、いずれ御目通りの機会も持てよう。」
ただの慰めに過ぎぬと分かっていた。
けれど、己が去ったのち、空っぽになった腕の中に彼が抱えるであろう孤独が哀れでならなかった。長く生き、持ち主を見送るだけの定めをもつモノだからこそわかる。望み、一度は得て、奪われた時の悲しさ、あの虚しさだけを与えて、離れていく自分がひどく残酷な存在に思えてならなかった。
後ろめたさから口にした、安っぽい同情の言に彼の君は応えることはなく、ただ、別れを惜しむ歌だけが残った。
「夕闇は道たづたづし月待ちて 行ませ我が背子その間にも見む、か。」
あれから一度、挨拶の文をもらったきりだ。しかし、その後の中将の様子は、文使いをしてくれた左文字の末弟から、そこはかとなく聞き知っている。
彼の行状にも明らかな変化が見られた。これまでは審神者に遠慮して、刀工としての家事にはいっさい顔を出さなかったお方が、頻繁に一期を従えて、炉の見物までなさるようになった。それだけであれば、ようやく跡を継ぐ気になったかと喜ばしいことであるのだろうが。
気がかりなのは、三日月との逢瀬が絶えた後も、お体は相変わらず思わしくないままだということだ。本分は軍人であろうお方が、外向きの御用に蒼い顔でお出ましとはいかがなものかと、主は呆れながら嘆いていた。
(どうにも、嫌な予感がする。)
己が身を引けばよし、という単純なものではなかったのではないか。この家には、自分が現れる前から絡み付いた暗い縁があるのではないか。そして、自分が現れたことを契機に、それに絡め捕られようとしているのだとしたら。
「…いかがしたものか。」
ぼんやりと、呟いたその時。
「酒も飲まずに、恋の煩悶とは、こいつぁ驚いたな!」
頭の上から陽気な声が降ってきた。くるりと振り向いて、声の主を探し当てた三日月は、目を丸くした。
「つる、鶴ではないか?」
「いかにも。戦なき世の今は白一色だが、俺は変わらず鶴を名乗っているぜ。」
ひさしぶりだな、吾が友!と酒瓶と杯片手に仁王立ちしている男は、鶴丸国永。三日月ら三条流の祖を師とする五条国永の子であり、数百年来の悪友だった。
「鶴や鶴、会いたかったぞ。何故、そなたがここにおるのだ。」
「驚いたか!そうだろうそうだろう。何せ君、俺は昨日、粟田口に入ったばかりだ。そうしたら皆、宮参りだというから、留守番は敵わんと追いかけてきたんだ。」
そう言うなり、横の席にどっかと陣取って、鶴丸国永は、この間の経緯から何までひとしきりしゃべり始めた。
ここに来るまでに顔を合わせた数名の刀剣男士からいろいろと聞き出したらしく、家中の様子や三日月と一期一振の確執の件まですっかり把握しているようだった。
三日月は、なんとも見上げた野次馬根性だと呆れながらも、鶴丸の変わらぬ好奇心を懐かしく思った。
「しかし、君も災難だったなあ。もとは、爺さんと二人、のどかに暮らしていたんだろうに。」
「縁は縁。仕方あるまいよ。しかし、ときじき藤の君(中将)の件はいささか手に余る。主家のことゆえ、あまり口出しも出来ぬし。」
「うん?ああ、あれのことか。違う違う。俺が災難だというのは、一期一振のほうさ。」
「一期が、か?」
「だってそうだろう?ようやく諦めもつこうって頃に現れたかと思いきや、何にも記憶にないんでございってんじゃいくらなんでも辛過ぎる。それでいて、主命片手に、若君との仲にちゃちゃをいれてくるんじゃ、いかにも君は生殺しじゃないか。」などと、ものすごい勢いでまくしたてる。
何事も面白おかしく流している鶴丸にしては、最後のほうでは随分と怒りの色が混じっていた。さりげなく煽っている酒のせいだろうか。相変わらず、困ったやつよと三日月は苦笑した。
しかし、鶴丸の言う「生殺し」の言には、少々心が揺れた。
確かに、思ったことがある。一期が自分と中将の逢瀬を咎めだてする理由が、失くした記憶に根差した無意識の嫉妬ででもあったならどんなにいいだろうと。けれど、そうではないという現実に一層の喪失感を突き付けられる。それが、ただ、つらいと思う。
「君が、俺に惚れてたらな…。」
今になって、そんなつらい思いはさせやしないのに。珍しく切なげな声で、友が言った。
「はは、戯言を。」とすかさず三日月が交わす。このやり取りも久しぶりだ。彼は変わっていない。昔のままだ。そのことがただうれしかった。
「戯言、か。まあ、違いない。」
先ほどの陰りをあっという間に追いやった白い友は、へらりと笑って月を仰いだ。
「俺は、君が好きだ。他の誰よりも面白い。俺に惚れる君もきっと、珍しかろうが。それよりも、誰かに惚れて見たこともない顔で四苦八苦してる君を見てるのが好きなんだ。一番面白いからな。」
だから、諦めてくれるな。そう背中を押す。相変わらず肝心なところで不器用な奴だ。けれど、今宵はその滑稽なまでの明るさに救われた気がした。
「やれ、かなわぬ。俺は、お前の退屈しのぎか。」
「そうだ。そして誰より大事な友なのだ。そうだろう?三日月宗近。」
「はは、違いない。また会えてうれしいぞ、やかましいシラサギの君。」
「俺がシラサギだって?真っ白でうるさいからか?こいつは驚いた。」
やがて立ち込める雲をひととき忘れたように、古い友が笑いあう声が、十五夜の空に響いた。
宴もたけなわな月見堂から遠く隔たった本殿に坐した、一期一振の表情もまた、明るいとは言い難いものだった。
あれから三日月とはろくに言葉を交わしていない。というのも、取り立てて何かなければ、御傍に上がること自体がまずない。
それこそが、自分たちの本来の関係なのだという事実が改めて思い出されて、愕然とした。
加えて、近頃では主の他に、中将その人にも何かと用を頼まれることが増えた。
これまであまり刀剣たちを関わりを持とうとしてなかったはずの中将はうってかわって家事にも顔を出すようになった。そして、その際に彼は、一期を伴うことを望んだ。
とはいえ、それが好意からではないということは、直にわかった。
(たとえば、月ひとつ見上げるにつけても、あの人は何かと私にあてつけてお話しなさる。)
以前、中将が三日月に送った文を、偶然目にとめてしまった。その折に、文に綴られていた古歌に覚えがないかと問われたことがあった。覚えがない、と正直に応えた一期に、中将は、冷たく「そう。」とだけ返して続けた。
彼の口から聞かされたのは、その昔、一期と会った折に三日月がこの歌を口にして彼を引き留めたという記憶の話だった。
おそらく、元の主が北の方を訪れた時にでも、彼の君と見える機会があったのだろう。けれど、その話を耳にしても、浮かんでくる光景も、思い出せるぬくもりも何も浮かばなかった。
「あの方は、それは、お幸せそうにおっしゃっていたのだけれど、当の貴方は本当に何も覚えていないんだね。」
戦の業とはいえ、薄情なこと、とため息交じりに吐き捨てた。
「私なら、愛おしい人との記憶なら、たとえ身内を忘れても、失いはしない。忘れられるものか。それを、いかに戦禍にあったとはいえ神である貴方が、こんなにも容易く失くしてしまうなんて。貴方のほうは、もとより愛おしむお気持ちが薄かったのかもしれないね。」
「そんなことは__」
「ない、とは言えないだろう。現に、今やあの方のことを、何も覚えてはいらっしゃらない貴方なのだから。」
その言葉は、ひどく一期の心を打ちのめした。
屈辱的だと思った。そして同時に、一期の中に、三日月に対する言い知れぬ罪悪感が生まれた。あれきり三日月宗近に会うことのないまま、今日まで過ごしてしまっているのも、その後ろめたさに根差した無意識の忌避ではないかとひそかに思う。
(私は、あの方を悲しませているのだろうか。ただ身近にあるだけで、苦しめているのだとしたら。)
それだけで、いたたまれない心地がした。炎の中に消えたという過去の中で、己はどれほどあの人を想っていたのだろうか。
その思いが深いければ深いほど、この苦悩が募っていくような気がして、気づけば、努めて三日月のことを思い出すまいとして過ごすようになってしまっていた。
「よくない気が漂っているね。」
不意に背後から声をかけられ、一期は飛び上がった。本殿の入り口に立っていたのは、この社に御神刀として祀られている石切丸だった。
「そんなにびっくりされると、私がもののけのようじゃないか。一期一振吉光殿。」
「すみません。考え事をしていたもので、油断して居りました。」
「なるほど。ずいぶんと深刻な顔をしていたからね。悩み事かな。」
私でよければ、話し相手くらいにはなれると思うよ。石切丸は、その直衣の深草に似た穏やかな声で、そういうと一期の傍らに腰を下ろした。
結局、迷った末に、一期一振は、石切丸に事の顛末を打ち明けた。
流石に私事に過ぎる記憶の件は省いたが、相手はさるもの。開口一番、「若君は嫉妬深いお方なのだね」と、あっさり言い切ったあたり、三日月と一期との因縁も察っしているのだろう。また、同じ三条流派として、石切丸と三日月の縁も浅からぬものがある。
「中将殿はまだお若いので、何かと思いつめるところがおありなのは致し方ないとは思うのですが。いずれにしても、このままではどうにもならぬので、いささか困っておりましてな。」
「そうだろうねぇ。君は何せ、そういう面倒なあれこれは、事実上、初めてってことになっているのだろう?三日月や彼の君の心の機微が分からぬのも無理はない。」
ここはひとつ、一から考え直してみてはどうだろうと石切丸が言った。
「一から、とは?」
「今の君は、三日月宗近をどう思っているのかな、一期殿。」
「はあ?」
「つまりだよ、君が三日月と添い遂げるのか身を引くかがはっきりすればこの件は落着するのではないかと思うんだがどうだろう。」
「そのような…。中将殿にしても、三日月殿とは人と神。数少ないお話相手を取り上げられてご立腹なのだろうと__」
「人間の恋慕の情を侮ってはいけないよ。いけない想いと知っても、思慕の心は容易くは御せない。古来より、これはよく運べばこの上なく幸運をもたらすが、悪く運べば定めすら狂わすものと言われてきた。かの源氏物語にある六条御息所などは、源氏への想いのあまり、生前に彼の君の妻を2人も憑り殺し、死後も怨霊となって君の周りの女たちに災いをなしたほどだ。」
近い時代を生きた霊刀の言葉に、ぞくりと寒いものが背筋を走った。まさか。審神者になれぬ程度の神通力ではそこまで大事は致せまい。
けれど、それにしては、思い当たる節がやけに多かった。
近頃の中将の振る舞い。三日月を遠ざけてもなお、回復しない病状。そして何より、時折、目にする彼の君の影。さして神事に通じぬ一期にも感じる不吉さがそこにはあったように思えてならなかった。
もしもそれが、あの方をわがものにという欲望の化身であるのならば。
「私は__あの方をお守りしたいのです。他の、何に替えても、穏やかに笑って過ごしていただきたいと願ってやまない。ただ、それだけなのです。」
それが恋慕かどうかはわからない。それでも弟たちの他に、初めて守りたいと思える存在だ。唯一無二の__
「それを愛情と呼ばずしてなんと呼ぶのか、なかなか思いつかないんだけどな。」と呆れたように、深草の神刀が笑った。一期一振は、何も言い返せずただ赤面した。
縁結びが専門ではなかったはずだけど、と冗談交じりにぼやきながら、石切丸が腰を上げた。
一期は礼を言って、本殿の入り口まで見送りに立った。気づけば、既に外は明るくなりかけている。
夜が明けて、祓の儀の仕上げが済めば、帰館だ。戻ったら、もう一度、三日月にこの間の詫びを入れに行こうと、一期一振はひとり思い定めていた。
朝もやの庭に降り立った石切丸は、最後に一度だけ、振り返ってくぎを刺した。
「それはそうと、若君のご様子には気を付けておいで。今はよくとも、いずれ災いとなる。」
言霊、という人間の信仰が真に力を持つならば、既にこの時、定めは決まっていたのかもしれない。
彼の言う「災い」が彼らの帰館を待たずして留守の館に訪れていたことを、この時の一期一振は、まだ知る由もなかった。
続.
2015-12-30 00:43