とあることをきっかけに、職場がお通夜モードに……
うんざりしました。
しかも、年の大きいお姉さん方が私の話を無視する。
いつも普通何々とか言っている方々で、そこに私は苛ついていました。
それで、非常識とか変とかいう言葉が嫌になって、昨日の一件に腹を立て始めました。
しかし、家に帰って打ち明けたら、母とぽぽやが理解してくれたので大人しくなり、料理もしました。
昨日の印鑑を譲る件は、やはり私が非常識だったです。
何と……
バリスタというものを、職場の有志一同からいただきました。
しかも、それは、親和会担当のお二人が、夜遅くまで一生懸命選んで下さったもの。
種々の粉までついておりました。
色とりどりの様々な飲み物の素を見て、ポヤチャンはまるで天国にいるような気がしました。
そんな豪華な贈り物の他に、KちゃんとHさんからの素敵なお手紙が。
私はKちゃんは笑っていたと信じたい。
いつもよりも微笑んでいたと。
元はというと私が、昨日のみかんの絵と、その上にあった創作文のコピーを彼女らにあげたのが発端である。
思いの外、好評だったようだ。
みかんの季節になり、庭先に生ったものをそれぞれの人が持ち寄って、お裾分けしてくれます。
嬉しいので、久々に絵を描きました。
今日は平和でしたが、艦これのメンテナンスが22時まで延びたせいで、苛々するし退屈するし、で少々困りました。
しかし、友人の一人が、私の出した手紙に応えて早速メールをくれました。
嬉しかった。
イベントももうすぐ終わりますね。
伊19を昨日ゲットしました。
嬉しかったが、まだデコイにはならないな…
辛いことを書いてしまったが、辛いことばかりではないのですよ。
ええ。
そう、祝ってくれる人が沢山いますから。
それに、励ましたい人もいるから。
私は明日からも頑張って通います。
小6の時の、私が毎日通っていた学校とその周囲は、まるで地獄だった。
陰口、菌扱い、暴言、廊下で会うと避けられる、常に机を離される、物にいたずらをされる、何かにつけ難癖をつけられる。
「あんたが転校してきてから、この学校に嫌なことが沢山起こる。疫病神だ」
そう言われても耐え続け、蕁麻疹を出し、保健室で吐いた。
それでも学校に行った。
すると風邪にかかって熱が出てくれた。
熱が下がっても休んだ。
しかし、何故行く気になったかというと、皆からのメッセージが投げやりでおざなりで、嫌々書かされた感満載だったので、それを見るに耐えなかったから。
私の不登校は一週間で終わった。
しかし、これだけ排斥されているのに、ここが卒業校、母校になってしまうのかと思うと(仲間でもないのに仲間と言わされる)、卒業式の練習で涙が出てきた。
「大丈夫?」
ひどい陰口を言っていた人が平然と訊いた。
私は涙を流しながら「大丈夫」と言ってそのまま普通にやった。
先生たちは附属を受けるなら応援すると言ってくれた。
でもそんな勇気も気力もないから、皆と同じ学校を卒業して、同じ中学校に進んだ。
しばらく地獄は続いたが先生の努力により、表面上いじめは鎮圧された。
それでも最後まで私の悪口をふれ回っていた人、嫌いだとわざわざ主張していた人、散々加担していたのに、転校する前の手紙にも一言の謝罪もなく「ポヤチャンは不思議な子だったね」と書いてきた人、「はっきり言って最初ポヤチャンを軽蔑していました」と書いてきた「親友」等、色々な人がいました。
本当に最後まで気の抜けない針のむしろでした。
転校しても一部の人は友達だったが、常に恐ろしくもあり。
その後の友人関係に、多大なる影響を及ぼした。
吐いた、泣いた、嫌われた。
たったそれだけの「母校」の思い出。
誰とも共有できない。
未だに共有できない。
そして、平気だと思っていても、少しでも話をしようものなら私は寝込んでしまうのです。
皆嫌いだけど、好きでもあって、何で仲良くしてくれないのかと苦しかった。
今でも心の中に私は地獄を持っている。
そのことを再確認した。