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おじいちゃんの死

私はおじいちゃん子だった。小さい頃、妹の出産で、私は主におじいちゃんとおばあちゃんに育てられた。母は、つわりもひどくそれどころじゃなかったのかも。私を父と祖父母の元に残し実家に帰っていたから。私は小さい頃の母親の記憶があまりない、おじいちゃんといつも一緒にいて、大好きだった、雷が怖い時、一緒の布団で寝てくれた、いつも手を繋いで寝てた、風邪を引いたらねぎの味噌汁を作ってくれたっけ。おじいちゃんは、私が社会人のとき、胃がんが見つかった。お父さんからその話を聞いた時、すごくショックで、おじいちゃんこと、なかなか見れなかった。悲しくて、なんて言っていいのかわからないよ。おじいちゃんの方から言ってきたのかな?おじいちゃんは手術をした、リンパまで転移していてステージ3と言われた。高齢のため、抗がん剤はやらなかった。手術をしたあと、おじいちゃんは痩せたが元気だった、手術をしてよかった。
でも、、再発してしまった。それを知ったときのおばあちゃんはショックをうけて認知症になってしまった、、。ささえる側のおばあちゃんが、逆にがんのおじいちゃんにお世話されていた。。
それからおじいちゃんは、寝ていることが多くなった。体調が良くないみたい。私はこの頃、家を出たいと初めて思った。弱っていくおじいちゃんを見るのがつらくてつらくて、、みたくなかった。それを母に言ったら薄情だと言われた。逃げるなんてそうかもしれない。母はおじいちゃんのお世話をしていた。
抗がん剤をやらないと言っていたおじいちゃんだが、あまりに辛かったのか、おじいちゃんの娘にも言われたみたいで、抗がん剤を飲むことにした。しかし、、一粒のんだだけで、激しい嘔吐と下痢で大変なことになってやめてしまった。死んでしまうと言っていた。おじいちゃんは自宅で生活するのがままならなくなり、自ら入院した。家にいた最後の頃は腹水がどんどん下から出てきて止まらなくなっていた。母も大変だったと思う。
私もその少し前におじいちゃんがトイレットペーパーを買いたいからと車を出したことがある、トイレットペーパーを大量に、あととうもろこしが食べたい、ととうもろこしを買った。レンジでできる方法を調べてレンジで作った。おじいちゃんとうもろこしおいしかった?
入院してからのおじいちゃんは、本当に辛そうだった、黒いものを吐いて、おばあちゃんと一緒に心中したいと言っていた。。
元気だったおじいちゃんが、元気だったのに!!おばあちゃんの方がいつも具合悪いって言ってて、おじいちゃんは元気そうだったのに!!なのに、がんで弱って。その変化が、受け入れられなくて。
仕事中に、おじいちゃんが危篤だと連絡が入った。早退させてもらって病院に向かったが、誰も間に合わなかった。息を引き取ったおじいちゃんをみた。目にキラリと涙が光っていた。おじいちゃん、死んじゃったんだね。。でも少しホッとした、楽になったんだなって。もう苦しまなくていいんだよ。
おじいちゃんはずっと意識があって、最後まで辛かったの、だから、楽になったんだなって思った。
私はおじいちゃんの死をなかなか受け入れられなかった。朝起きて、おじいちゃんは死んだんだって思ったり。分からなくなったりした。
おばあちゃんは認知症がひどくなって施設に入った。今はもう亡くなったけど、おばあちゃんは老衰という感じだったから受け入れられた。悲しかったけど。おじいちゃんは急だったから、なかなか受け入れられなかったよ。
うちは祖父母両方亡くなったけど、一緒に住んでたからたくさん可愛がってくれた。楽しい思い出も沢山ある。今でもちゃんと覚えてるよ。可愛がってくれてありがとう。
おじいちゃんが病気になったとき、私はJUJUのザ、ローズという曲をずっと聞いていた、明日が来るならというCDの3曲目だったかな、余命一ヶ月の花嫁の曲だから余計に、、今の心境とあっていて悲しかったというか、心の状態にあっていて聞いていた。
大切な人が亡くなるのはとても悲しい。だから周りにいる人のありがたさ、大切さもひしひしと感じる。その人たちのお陰で私は支えられている。大好きだよ、大切にしたい。
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